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青森地方裁判所 昭和38年(行)9号 判決

原告 東条昭彦

被告 鰺ケ沢町長

主文

被告が昭和三八年七月四日付辞令第一三二号をもつてなした原告に対する懲戒免職処分を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

一、原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、請求の原因として、次のとおり述べた。

(一)  原告は、昭和三七年四月二日、鰺ケ沢町事務職員として採用され、産業経済課勤務を命ぜられたが、昭和三八年五月一〇日中村清次郎が町長改選の結果鰺ケ沢町長となるや、被告は、同年六月一日原告の産業経済課勤務を解き、総務課勤務を命じ、以来原告は総務課に所属して執務してきた。

(二)  ところが、被告は、昭和三八年七月四日付辞令第一三二号をもつて原告を懲戒免職する処分をし、右辞令は同月七日原告に交付された。

右懲戒免職処分の理由は、つぎのとおりである。

1、原告は、昭和三八年四月三〇日施行の鰺ケ沢町長選挙に際し、特定候補者の依頼に応じて、同候補者の借り受けた自動車を使用して不在者投票に赴く選挙人を投票所まで運搬し、その他選挙運動期間中選挙運動のため同様に右車を運転使用した。かような行為は地方公務員法第三六条第二項に違反する。

2、原告は、上司の職務命令に従わないことが多く、職務上の義務に違反した。

3、原告は、勤務時間中行先きを上司に告げることなく庁外に出また職務に全力を傾注することをせず職務怠慢であつた。

しかしながら、原告にはかかる事由はまつたく存在しなかつたから、本件懲戒免職処分は違法である。

(三)  原告は、昭和三八年八月一三日、鰺ケ沢町公平委員会に対し、本件懲戒免職処分の取消を求めるため審査請求をしたが、被告は、同月一五日町公平委員会が未だ組織されていないから受理できないとの理由で、審査請求書を原告に返送した。そうして、右申立後三ケ月を経過するも何らの通知もなく、また公平委員会が組織される様子もない。よつて、行政事件訴訟法第八条第二項第一号により本訴に及ぶ。

二、本案前の申立

被告訴訟代理人は、「原告の訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、その理由として、次のとおり述べた。

(一)  原告は、行政事件訴訟法第八条第二項第一号により審査請求に対する裁決を経ずに本訴に及んだというのであるが、同法第八条第二項第一号は、審査請求書が受理されたにもかかわらず、三ケ月経過後も裁決がなかつた場合の規定であり、本件のごとく審査請求書が初めから受理されなかつた場合には適用がない。

(二)  そうして、同法第一四条により、取消訴訟は処分または裁決があつたことを知つた日から三ケ月以内に提起しなければならないところ、原告の本訴提起は、少くとも町公平委員会未組織を理由に審査請求書が返戻されてから三ケ月以上を経過して右処分は確定した。同条第三項は、処分または裁決があつたことを知らなかつた場合を規定したものであり、本件のごとく審査請求書が返戻されたことを知つていた場合には適用されない。

三、本案について

(一)  被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、請求原因に対する答弁として、請求原因第一項の事実、同第二項中原告に対し懲戒免職処分をなした点、および本件懲戒免職の理由に関する事実ならびに同第三項の事実を認め、その余を否認する、と述べた。

(二)  本件懲戒免職の理由

1、鰺ケ沢町町長選挙は、昭和三八年四月三〇日施行され現町長中村清次郎が当選、前町長山屋辰夫が落選した。原告は、地方公務員として政治的中立性を保持すべき義務あるにもかかわらず、前町長山屋辰夫を支持し、同人の当選を期して左記のとおり同人のため選挙運動に従事した。

(1) 原告は、昭和三八年四月二二日当時の鰺ケ沢町企画課長櫛引豊から山屋候補の応援団体である清風会本部に赴いて選挙運動をするよう依頼され、原告は自動車の運転免許を有することから、主として山屋候補が選挙運動用に借り入れた自動車を運転して選挙運動に従事することとし、同日から選挙の当日まで山屋候補のため自動車を運転し、選挙運動をし、その間欠勤同様の状態であつた。

(2) 訴外岩谷勇治(当時佐藤勇治)は、北海道へ出稼のため投票日に投票ができなかつたので、昭和三八年四月二三日午前八時三〇分ころ不在者投票のため鰺ケ沢町大字赤石町からバスで鰺ケ沢町役場内の投票所に赴くべく、昭和三八年四月二三日午前八時三〇分ごろ、右赤石町赤石警察官駐在所前にいたところ、原告が勧誘して自己の運転する自動車に乗車させ、車中同人に対し山屋候補に投票するよう依頼し、かつ同人が投票する際、傍で腕組みをしながら監視するなど、選挙の自由を妨害した。

以上のとおり、原告には、地方公務員法第三六条第二項に違反する行為があつた。

2、原告は、昭和三八年六月一日総務課勤務を命ぜられて以来、自己の支持する山屋辰夫が落選し、現町長が就任したためか、課長神四平の命令に従わず、しばしば反抗的態度を示し、地方公務員法第三二条に違反する行為があつた。

3、また原告は、現町長就任後勤務時間中上司に告げずに他出し、勤務を怠り、職務に全力を傾注せず、地方公務員法第三〇条、第三五条に違反した。

以上のとおり、原告の行為は、地方公務員法所定の地方公務員としての義務に著しく反したものであるから、被告は、同法第二九条第一項第一号により原告を懲戒免職処分に付したものである。

四、証拠〈省略〉

理由

一、まず、被告の本案前の申立について判断する。

懲戒免職処分を受けた地方公務員たる市町村の職員は、公平委員会に対して行政不服審査法による不服申立(審査請求)をすることができ(地方公務員法第四九条の二第一項)、右不服申立は、処分があつたことを知つた日の翌日から起算して六〇日以内にしなければならず(同法第四九条の三)、右不服申立を受理したときは、公平委員会は、直ちにその事案を審査しなければならない(同法第五〇条第一項)のであり、懲戒免職処分の取消の訴は、審査請求に対する公平委員会の裁決または決定を経た後でなければ、提起することができず(同法第五一条の二、行政事件訴訟法第八条第一項ただし書)、ただ、審査請求があつた日から三か月を経過しても裁決がないときは、裁決を経ないで、処分の取消の訴を提起することができる(行政事件訴訟法第八条第二項第一号)。

ところで、原告は、昭和三八年七月七日被告から原告を懲戒免職に付する旨の同月四日付辞令第一三二号の交付を受けたので、同年八月一三日、鰺ケ沢町公平委員会に対し本件懲戒免職処分の取消を求めて審査請求をしたところ、被告が同月一五日公平委員会は未だ組織されていないから右審査請求書を受理できないとの理由でこれを原告に返戻したこと、および右審査請求をしてから三ケ月を経過するもこれにつきなんらの通知もなく、また公平委員会が組織される様子もなかつたことは、弁論の全趣旨に懲して明らかである。

右事実によれば、被告は原告の右審査請求が本件懲戒免職処分のあつた日から六〇日以内になされたにもかかわらず、未だ鰺ケ沢町公平委員会が組織されていないとの理由で右審査請求書を一方的に原告に対し返戻したのであるが、前記地方公務員法第五〇条の趣旨からすれば、被告は、右審査請求があつた以上、直ちに公平委員会を組織して、これが事案の審査に当らしむべきであつて、同委員会が未だ組織されていないことを理由に受理を拒み右審査請求書を原告に返戻することは許されないから、本件においては右審査請求は適法になされたものと解するのが相当である。そして、右審査請求があつた日から三ケ月を経過しても、これに対する裁決がなかつたことは前記のとおりであり、原告が本訴を提起したのは昭和三八年一一月一八日であることが記録上明白であるから、行政事件訴訟法第八条二項一号にいわゆる審査請求があつた日から三ケ月を経過しても裁決がないときに該当し、従つて、裁決を経ないで提起された本訴は適法というべきである。この点の被告の主張は理由がない。

二、本案について判断する。

(一)  原告の鰺ケ沢町事務職員としての経歴および原告が昭和三八年七月四日付辞令第一三二号をもつて原告主張の事由により懲戒免職処分を受けたことは、当事者間に争いがない。

(二)  次に、原告に対する本件懲戒免職処分の事由の有無について判断する。

1、選挙運動の点について。

証人工藤光雄、岩谷勇治、石岡由満ならびに原告本人尋問の結果を総合すれば、次の事実を認めることができる。昭和三八年四月三〇日施行の鰺ケ沢町長選挙の数日前の午前中、原告は、当時所属の農業委員会の事務処理のため同町赤石出張所に赴いた帰途町所有の乗用車を運転して弘南バス赤石停留所に差しかかつたところ顔見知りの岩谷勇治と出会い、同人の依頼により不在者投票(同人が北海道に出稼ぎに行く予定)のため役場に赴くのを知り、便宜をはかつてやるつもりで投票場の町役場附近までこれを同乗させたことが認められるが、原告が岩谷に対して町長選挙につき特定候補(山屋辰夫)のため投票依頼をしたとか投票場において同人の投票を監視したとかの被告主張事実を認めしめるべき証拠は見あたらない。この点の被告主張にそう趣旨の記載のある乙第一号証は真正に成立したことを認めしめる証拠資料がないのみならず、その記載も証人岩谷勇治(旧姓佐藤)の証言に照らしてたやすく措信できない。

もつとも、成立に争いのない乙第二号証の一ないし六、同第三号証の一ないし一二に証人寺沢太助、神四平の証言をあわせれば、鰺ケ沢町では、町長選挙の告示の前後ころ役場勤務の主事(課長)、書記等の者が一たん依願退職をし選挙終了後原職に復帰することが行われ、右のように地方公務員の身分を保有しない間に自己の支持する特定候補者のため選挙運動に従事するのが大よその慣例とされていたこと、原告は前町長山屋辰夫の在職中に採用された関係から山屋派と目されていたことがうかがわれるが、さればといつて右事実にもとずき直ちに、原告が昭和三八年四月三〇日施行の選挙に際し山屋候補のため選挙運動に従事していたものと認めるには足りず、その他本件全証拠を通じてみてもこの点の確証は存在しない。

2、職務命令不服従、職務怠慢の点について。

証人神四平、寺沢太助、工藤光雄、太田亮の各証言ならびに検証の結果、原告本人尋問の結果を綜合すれば、次の事実を認めることができる。

原告は、昭和三八年五月一〇日訴外中村清次郎が新たに鰺ケ沢町長に就任するや同年六月一日付をもつて産業経済課勤務を解かれ、総務課勤務を命ぜられたこと、中村が町長に就任した直後山屋辰夫町長当時の課長八名中七名が更てつし、同年五月二〇日ころ課長会議の席上原告および今栄一(山屋町長当時建設課土木技手)の両名はいずれも従前所属の課員としての適性がないとの判定のもとに両名とも配置がえを受けることとなり総務課勤務を発令されたのであつたが、総務課(課長神四平)では特定の係りに配置されることなく、それまで各課内に保管、たい積していた尨大な書類を庁舎外の倉庫に運搬、各課ごとにまとめて整理、分類すべきことを命ぜられ、やむなく連日これに従事していたこと、そうして、右倉庫内には電燈の設備がなく、採光も極めて悪かつたので神課長にこれを訴えると工夫してやつて呉れと言われるだけで、なんらの配慮もしてもらえず、懐中電燈を頼りにしてこれに当つていたのであり、その間暫く庁舎内で休憩していると「何も仕事がなければ掃除をしろ。」と命ぜられて庁舎外の庭の掃除、除草等に使役されたこともあつたこと、しかして被告は同年五月下旬以後数度にわたり、神課長(助役兼務)その他の課長を通じて退職を勧告したのであつたが、その理由としては「公務員としての適性がない。」ということを述べるだけであつて、原告が容易にこれに応じないと見るや本件懲戒免職処分におよんだ、以上の事実を認定することができ、証人神四平の証言中右認定とてい触する供述は採用できないし、その他にこれを妨げるに足りる証拠はない。

しかして、証人神四平の証言によれば、中村町長の就任後鰺ケ沢町役場職員として新たに約六〇名が採用され(役場職員の総数が約一六〇名に増員した)、その反面従前の職員中約半数ないし三分の一の職員が退職したことが認められ、これによれば、鰺ケ沢町においては町民全般にわたり町長派と反町長派の対立抗争が激しく、役場職員もその例に洩れず、町長選挙の結果自己の支持する町長が敗れたときはこれと運命を共にして役場職員としての地位を去るのが例とされていたところ原告は前町長の山屋の支持派と目されていたのに退職に応ずることがなかつたので前記のように総務課に配置がえされたうえ特定の担当職務も与えられず、いわば雑役ともいうべき古書類の運搬整理を命ぜられたのであつて、被告の報復的人事というべきものと認めるのが相当である。

しからば、神証人の供述のように原告においてたとえ上司の命を素直にきかず、反抗的態度に出たことがあつたとしても、人情の赴くところ無理からぬものがあるというべく、地方公務員としての勤務態度として多少の非難は避けられないとしてもこれをとらえて地方公務員法第二九条第一項二号、三号にいわゆる職務義務違反、職務懈怠、または重大な非行があつたものと評価すべきではない。その他本件全証拠を通じても同法同条一項一号、二号に該当すべき事実の存在を認めるべき証拠資料はなにもない。

(三)  以上説示のとおり被告の本件懲戒免職処分は処分該当事実が存在せず、違法であることが明らかであるから取消をまぬがれない。

よつて、本件懲戒免職処分の取消を求める本訴請求は正当としてこれを認容すべく、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 間中彦次 辻忠雄 宮沢建治)

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